あるディスレクシア青年(18)の場合

「字が書けないのはバカだからだ」と自分で思い、居場所を失った小中時代。今はイラストレーターを目指す。

「小学5年生のある日、”はっ!”とわかったんです。こんなにがんばっても漢字が書けなくて、教科書も読めないのは単に頭が悪いんじゃなくて脳のどこかが壊れているんだ、98歳になって名前もわからなくなったおばあちゃんみたいだ。もう何をやってもだめなんだって思いました。悲しかったのは、”もうだめだ”とわかるくらいの知能はあるんだと悟ったことです」

現在、都内のある高校に通う佐藤さん(18歳)は、7年前の”その日”を今でも鮮明に覚えていると言います。

音符は・・ 黒板の字は・・

最初に「あれ?」と思ったのは、小学3年生の4月でした。
国語の教科書が、どうやっても読めなかったからです。

「教科書をよく見ても字が揺れてるんです。黒板の字はチョークで塗りつぶした白丸に見えるし、教科書は行と行が重なって見える、漢字はお手本を見て書いているのに覚えられない、先生がいっぺんにいろんなことを言うと頭の中が真っ白になる…。それが小3の幕開けでした」

先生は「怠けてるぞ!」「ぼっとしてるんじゃない!」とみんなの前で叱責しました。
佐藤さん目身、努力が足りないと思い、毎晩教科書にルビを振り、母親と朗読の練習をし、ひとつの漢字を100回書いて覚えようとしました。

靴ひもを結ぶのが苦手な子も

「家の壁という壁に漢字が貼ってありましたよ(笑い)。それなのに、できないんです。あれ? あれ?って感じで。イライラするから爪を噛むでしょう。 小3から高校に入るまで、左手親指の爪はいつもはがれていました」

自分ができないのは自分が悪いから。自分の努力が足りないから…そしてある日、「自分がバカだからできないんだ」という結論に達するのでした。

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物事の順番を考える練習をする

 それから佐藤さんは、毎朝激しい腹痛と下痢に悩まされるようになりました。勉強しなければと思うのに、教科書を見たら吐いてしまう。そんなつらい日々が続きます。
 班活動のときに、字を書くのが遅くてみんなと一緒に作業ができません。  理科の実験をやるとき、先生の説明がわらず、失敗してしまいます。
 体育の授業では、指示がわからなくなり、みんなの足手まといになります。

 テストはいくらがんばっても10点前後。その都度先生からは「やる気なし!」と叱咤されました。野球選手をめざし4番を打っていた少年野球も、大好きな絵を描くことすら、次第につらくなってきました。
 それでも歯を食いしばってがんぱってきたのですが、小学5年生の2学期からだんだん学校に行けなくなり、とうとう小学6年生の1学期に胃潰瘍になってしましいます。 医者に通うようになり、中学2年のときに”読み書き困難”だと診断されました。
 その後、佐藤さんは学校には行かず、家庭教師と一緒に勉強を続けることにしました。どうすれば一番理解しやすいか、模索しながらの勉強だったそうです。

「いろいろとやってみて、自分は目で見たほうが理解できるし、覚えられるということがわかりました。それで、漢字を書くときも、まずその漢字をイメージで捉えてから絵にし、“縦縦横横"などと歌いながら覚えました」

今でも字を書くのは苦手だし、朗読も苦手、本を読むときも集中していないと行を読み飛ばすそうです。

イラストレーター

「ですが、自分の苦手な面と同時に得意な面もわかったので、それを生かして生きていきたいと思っています。今は、野球選手ではなくて(笑い)絵を描いて働くのが夢。
イラストレーターになりたいので、美術大学に進みたいと思っています」

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